大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

那覇地方裁判所 昭和39年(ワ)253号 判決

原告

具志彦修

参加人

蔡氏門中

右代表者

具志彦修

被告兼被告亡儀間亘訴訟承継人

儀間拡

被告亡儀間亘訴訟承継人

儀間翼

同右

大須賀キク

同右

儀間裕幸

同右

儀間祺昇

同右

儀間幸五郎

同右

儀間千代子

同右

儀間佐知子

同右

儀間崇

同右

儀間祥子

被告

儀間常亀

被告

上原貞子

被告

志多伯順

"

主文

一、原告と被告らおよび参加人門中と被告らとの間において、それぞれ別紙目録記載の各土地が参加人門中所有であることを確認する。

二、被告兼被告亘の訴訟承継人儀間拡、被告亘訴訟承継人儀間翼、同大須賀キク、同儀間裕幸、同儀間祺昇、同儀間幸五郎、同儀間千代子、同儀間佐知子、同儀間崇、同儀間祥子は、原告に対し、前項の土地について那覇登記所一九五七年四月一二日受付第六五四〇三号所有権登記の抹消登記手続をせよ。

三、被告儀間常亀は、参加人門中に対し、金八三五ドルならびにこれに対する一九五四年一〇月一二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

四、原告および参加人門中のその余の請求はいずれも棄却する。

五、訴訟費用は、被告兼被告亘訴訟承継人拡、被告亘訴訟承継人翼、同キク、同裕幸、同祺昇、同幸五郎、同千代子、同佐知子、同崇、同祥子、被告常亀、同上原、同志多伯の連帯負担とする。

六、この判決は、第三項に限り、かりに執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

1. 原告と被告らとの間において、別紙目録記載の各土地(以下「本件各土地」という)が、参加人門中の所有であることを確認する。

2. 被告亡亘承継人らは、本件各土地につき、一九五七年四月一二日那覇登記所受付第六五四〇三号所有権保存登記の抹消登記手続をせよ。

3. 被告亡亘承継人らは、原告に対し原告と共に本件各土地について、持分各二分の一の共有の保存登記手続をせよ。

4. 被告儀間常亀は原告に対し金八三五ドルならびにこれに対する一九五四年一〇月一二日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

との判決および第四項につき仮執行の宣言。

二、参加人門中

1. 参加人門中および原告と被告らとの間において、本件各土地が参加人門中の所有であることを確認する。

2. 被告亡亘承継人らは、参加人門中に対し、本件各土地について、一九五七年四月一二日那覇登記所受付第六五四〇三号所有権保存登記の抹消登記手続をせよ。

3. 被告亡亘承継人らは参加人門中に対し、原告と共に本件各土地について持分各二分の一の共有保存登記手続をせよ。

4. 被告儀間常亀は参加人門中に対し、金八三五ドルならびに右に対する一九五四年一〇月一二日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

との判決ならびに第四項につき仮執行の宣言。

三、被告ら

原告および参加人門中の請求はいずれも棄却する。訴訟費用は原告および参加人門中の負担とする。

第二、参加人門中の参加の趣旨

原告は、参加人門中の代表者たる地位にあるものとして、自己の名において、被告らを相手方として本件各土地が参加人門中の所有たることの確認と、登記手続および不当利得金等の返還を求めているが、右原告の被告らに対する訴の判決は、参加人門中にも効力を及ぼすものであるから、右訴訟の目的は原告と参加人門中との間で合一に確定すべき場合にあたる。

よつて参加人門中は右訴の原告として共同訴訟参加を申し立てた次第である。

第三、原告および参加人門中の請求原因

一、(一)1. 本件各土地は、蔡氏門中(琉球王察度の時代――明朝の初期――に福建省から移住してきた、いわゆる三六姓の一人蔡崇を始祖とする血族団体)の三世女子亜佳度(アカトウメー)の所有であつたところ、一四七三年(成化八年)同人が、その子孫に永く礼譲と親ぼくの美風を伝えるために、私財を投じ、本件土地にし(祠)堂(以下「本件し堂」という)を創建してそのころ、本件土地とともに、右し堂を、蔡氏門中に寄付したもので、したがつて、参加人門中の所有である。

2. すなわち、蔡氏門中は、前記亜佳度の遺志を受け継ぎ、し堂には、祖先ならびに同門中の物故者を合しして忠尽堂とよび、本件各土地ならびにし堂そのほかの付属施設を、その所有財産として共同で管理し、祭しを執行してきたが、後世になつて、門中構成員中の貧困者に対する救済、門中の子弟に対する学術奨励事業などをもあわせて行なうこととなり、これに要する経費は専ら右不動産による収入から賄われてきたものである。

しかして、門中の実体は、当初、血族の少ない間は組合的存在で、本件各土地は、前記組合目的のための共有(講学上にいわゆる合有)財産であつたが、年を経て血族が増加するに伴い、代表者を選出し、財産の維持管理および事業運営に必要な機関をおくことが慣行となるに及んで、社団的な性格を具有するようになつた。

ただ、このような社団は、営利もしくは公益を目的とするものでない関係上、法人格を取得することはできず、いわゆる権利能力なき社団ないし人格なき社団として存続することとなり、本件各土地を含む不動産は、不動産登記法施行後においても依然として未登記であつたため、本件各土地を処分しようとするものが現われるにいたり、本件各土地を、代表者らの共有名義で保存登記をするようになつた。

3. しかして、原告の先代である亡具志承基は、明治三二年ごろ、亡志多伯棟、同上原元基らとともに、いずれも中宗すなわち、ナカムートとして、その後、被告亘の三代目の先祖である亡儀間瑾が大宗(本家)すなわちウフムートとして、蔡氏門中の代表者に選任され、門中財産たる本件各土地の共有名義人となつたが、原告は、昭和六年一月一二日、亡承基の家督相続人として、被告亘の先代亡儀間常誠被告志多伯順先代亡志多伯晋、被告上原貞子先代上原光基らとともに、それぞれ門中から代表者として選任され、同年一月一三日、那覇区裁判所受付第一六九号をもつて、本件各土地につき、持分を相等しくする共有の保存登記をし、本件各土地は原告を含む右四名に、信託的に帰属して戦後を迎えたものである。なお右にいう本件各土地の信託的帰属とは、参加人門中と代表者との間に信託契約があつたということではなく、実質所有権者が社団であるにかかわらず、登記の方法がないので、代表者個人の名義にしたため対外的には個人名義で法律関係が処理されるが、実質的対内的には依然として社団が所有者であるところの信託的法律関係をいう。

(二) かりに、以上の事実が認められないとすれば、参加人門中は、遅くとも昭和四年二月一〇日から、蔡氏門中の発展した団体として、本件各土地を含む本件し堂の寄付を受けて自己に所有権が帰属したものと信じるにつき過失なくして、本件各土地を、本件し堂の敷地として維持管理して占有し、一〇年後の昭和一四年二月九日当時も同様に占有していたから、短期時効の完成により所有権を取得した。

二、しかるに、

(一)  亡亘および被告拡両名は、戦災により前記原告ほか三名の登記の記載された登記簿が滅失した後の一九五七年四月一二日那覇登記所受付第六五四〇三号をもつて、両人名義に保存登記を経由し、

(二)  被告儀間常亀は、なんら法律上の原因なくして、本件各土地に対する一九五二年四月二八日から一九五四年一〇月一一日までの軍用地使用料として、合計金一〇万二二三円(B円)(換算八三五ドル)を受領し、参加人門中の損失において、不当に利得し、

(三)  被告上原貞子、同志多伯順は、前記上原光基、志多伯晋の各家督相続人であるのに、本件各土地が参加人門中の所有であることを争つている。

三、よつて、原告および参加人門中は、それぞれ、前記第一の一、および二、各一ないし四項記載のとおり(ただし、各第四項中不当利得金に対する一九五四年一〇月一二日以降支払済まで年五分の割合による金員は遅延損害金である)の判決を求める。

第四、被告らの訴訟上の抗弁

一、参加人門中は、当事者能力を有しない。

すなわち、(一)蔡氏のように、二二世(約六〇〇年)にも及ぶ血族においては、その人数や氏名も定かでなく、また、各地に散在していてその住所も明らかでない。かかる血縁関係そのものを一個の組織体として、権利能力なき社団と認めることはできない。

(二) かりに、蔡氏門中を権利能力なき社団とみることができるとしても、具志彦修は、同門中の代表者ではない。

すなわち、参加人門中代表名義者たる具志彦修は参加人門中の構成員と一部の者を代表するに過ぎないのにかかわらず、その全部の代表者をせん称するものであつて、参加人門中の代表資格ある者ではない。

(三) 本件訴は必要的共同訴訟である。

二、よつて、原告の本訴および参加人門中の、本件共同訴訟参加の申し立ては、いずれも却下されるべきである。

第五、請求原因に対する被告らの答弁

被告らは以下のとおり主張して原告および参加人の主張を争う。

一、本件各土地は、儀間家初代元祖蔡崇に対し、中山王察度から私宅の土地として下賜されたものであるが、風水が悪く、子孫が病を生ずるとの地理師の言に従つて大門前の土地に私宅を構えたので、そこに原告主張のように亜佳度がし堂を創建したにすぎない。

したがつて、本件各土地は、参加人門中の総有財産となつたことはなく、亡亘に承組伝来してきた世襲財産であつて、本件し堂を門中が拝所としたものである。

また、原告主張のような貧困者救済、学術奨励など、すべて儀間家が大宗としてこれをしたものであり、儀間家を離れて門中だけでしたものではない。その収支は、すべて、儀間家の特別会計に帰属したといつてよい。

二、本件各土地が共有名義とされたのは、次の事情による。

儀間家一九世、元の養嗣子経が二五歳の明治二四年に養嗣子となるや、性いん逸にして家事を好まず、世襲財産である本件各土地をもとう(蕩)尽するおそれがあつたため、元の妻オミカメの要請により経の子瑾が成年に達するまで、右財産を保全するため、明治三五年ごろ、瑾がわずか一歳のころ、儀間瑾、志多伯棟、上原元基、具志承基の四名名義に土地台帳名義を作成し、しかも未登記のままであつたが、瑾は成年をまたずして大正一〇年に死亡し、そのほかの所有名義人も相次いで死亡したため、未登記のままに永く続いたのち、昭和六年、被告亘の先代亡常誠の代になつて、同人の命により、被告亘が、ほかの共有名義人らの各家督相続人らの印影を得て、儀間常誠、志多伯晋、上原光基、具志彦修の四名の共同名義で、所有権の保存登記を経由したもので、前記の土地台帳名義の記載自体、通牒虚偽表示による無効のもので、実体を反映しておらず、登記手続費用等の節減、そのはん雑を避けるなどの諸事情により、抹消されずに残つていたにすぎない。

三、以上のとおりであつて、本件各土地について現在ある亡亘および被告拡のための登記こそ、所有権の実体関係を反映した有効なものである。

なお、被告常亀は原告ら主張のように軍用地代を受領したことは認める。

第六、証拠(省略)

(別紙)

物件目録

那覇市久米町二丁目一〇三番

一、宅地 六四坪一合八勺

(二一二・一七平方メートル)

同所 一〇四番

一、宅地 一一九坪七合八勺

(三九五・九七平方メートル)

同所 一〇五番

一、宅地 三五〇坪二合

(一、一五七・七平方メートル)

同所 一〇六番

一、宅地 三九一坪八合一勺

(一、二九五・二五平方メートル)

同所 一〇七番の一

一、宅地 八三五坪二勺

(二、七六〇・四一平方メートル)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例